経帯麺を再現したもの(筆者撮影)

 6月末、新横浜ラーメン博物館の広報担当、中野正博氏から私の下にメールが入った。

「井手さん、日本で初めてラーメンを食べたのは、水戸黄門だという説がありましたが、それよりも前にラーメンのルーツとなる中国の麺料理が日本で食べられていたことがわかりました。室町時代で1488年です」

室町時代に供されていたという「経帯麺」

 ラーメン界では、日本で最初にラーメンを食べた人物はあの水戸光圀(水戸黄門)とされてきた。1665年に光圀が明国の儒学者・朱舜水を水戸藩へ招いたときに、中国の麺を紹介される。そして、1697年6月16日に光圀が朱舜水から伝授された麺を家臣に振る舞ったと『日乗上人日記』に記載がある。これが日本で初めてのラーメンだという説が濃厚だった。

 対して今回、新横浜ラーメン博物館から発表されたのが、室町時代に供されていたという「経帯麺」だ。発見したのは、そばやうどんなどを主体とする食品商社、イナサワ商店の稲澤敏行会長。1300年代後半に中国で出版された、当時の生活百科事典ともいうべき『居家必要事類』にそのレシピが載っている。

 小麦と水、そして「けん」(※)と呼ばれる炭酸ソーダを使って手打ちして作ると書かれている。「中華麺」は小麦粉にかん水を加えて練り合わせたものと定義されている。「けん」はまさに現代でいうかん水の成分で、「経帯麺」は「中華麺」といえる。

経帯麺の原料(筆者撮影)

 そして、室町時代の僧侶・亀泉集証の『蔭涼軒日録』の中に、1485年に「経帯麺」のことを知り、1488年に来客に振る舞ったという記載があることがわかった。これは、光圀の1697年から200年以上もさかのぼる史実となる。

「経帯麺」の「経帯」とは巻物の帯のことを指し、幅5mmほどのもの。実際再現されたものを食べてみたが、モチモチといい食感の平打ち麺だった。当時は精進汁でシイタケや梅昆布などのつゆをかけて食べられていたのではないかと推測される。

 中華麺が室町時代から食されていたとは驚きである。しかし、一般にラーメンが普及していったのは明治以降。室町時代といい、光圀のときといい、なぜ一部の人にしか食べられていなかったのだろうか。新横浜ラーメン博物館の中野氏はこう推測する。

「今回の発見も僧侶が僧侶に振る舞ったという記載です。階級の高い人しか食べられなかったということだと思います」

 当時は外食文化もなく、江戸時代以降に屋台ができるまではラーメンも知る人ぞ知るものだったのだろう。