ホコ天で、ブームの宮沢(和史)が、曲間にトランポリンを飛んでた記憶がありますね。みんな少しでも目立ちたかった。でも、バンド同士でケンカしたり、群れたりとかはなかったですね。ただユニコーンとは飲んだり、ゴーカート行ったり、旅行したりと仲がよかった。いただいた牡蠣(かき)を(広島出身の奥田)民生の家にもっていって殻を開けてもらったこともあった。あいつ、僕がひとつあける間に10個ぐらいできちゃうの」

ツアーバス(ジュンスカ号)で全国へ

 当時を「洗濯機の中に投げ込まれたスーパーボールみたい」だったと振り返る。

「渋谷公会堂で初ライブをしていた当時、僕はまだ家賃が2万円のアパート暮らし。打ち上げで飲んでると銭湯が閉まってしまうから、途中で帰ってた。いっぽうで、ラジオで『○○って車が欲しいな』なんて言っちゃうと、あげますって人が出てきたり、街で人だかりができちゃって、警察に誘導してもらうことになったり。俺を中心に地球は回ってる! みたいな気持ちになったよね。今の僕がそのころの自分に会ったら正座させて説教だ! って思うんだけどね

裏切れないから決断したバンドの解散

 やがて、1993年に寺岡呼人が脱退。忙しさから曲作りもうまくいかず、歪(ひず)みが生まれていった。

’90年代後半ってちょっと混沌(こんとん)としてくるでしょ。そういう時代に『歩いていこう』や『START』とかに代表される明るい前向きな歌が合わなくなっていった。僕自身も歌いたくない! となってしまって。僕のやりたいこととジュンスカの方向性が一致しないというか。いまなら、ソロとかユニットとか、グループ以外の自由な活動もできたかもしれない。でも当時はそれがバンドに対しての裏切り行為みたいで許されなかったし、僕もやっちゃいけないって思っていた。そうやって生まれた軋轢(あつれき)、衝突が重なって解散しちゃうんだけどね」

 いまでは笑い話だが、当時の宮田と森は、携帯電話から互いの電話番号を消去したり、どこかですれ違っても目も合わせないなど、互いを本気で嫌っていたそうだ。

「兄弟ゲンカですよね。中学生のときから一緒にやってるメンバーですし、仲間で兄弟だから1度、溝ができると大きかった。でもこうやって再結成して、10年。いまは本当の家族みたいなもんかな