「お母さんには友達がいなくて、ひとりぼっちなんじゃないか。お父さんの味方は私しかいないんじゃないか。お兄ちゃんは学校でいじめられていないか。いつか家族がバラバラになって、世間からも見放されてしまうのではないか。

 私にとって家庭は、子どもらしく無防備に安心できる場所ではなかったんです。そして、そんな家族の幸せをつないでいるのは自分だ、と感じていました。親が喜ぶような子どもでいれば親を悲しませることはないだろうと

母の幸せが私の幸せ……?

 だから、小学校でいじめにあったときも、親には絶対に悟られてはならなかった。

「今は、いじめられる側には絶対に非はないと言えますが、当時はいじめられるのは恥ずかしいことで、親をガッカリさせると思ったんです」

中学2年生。「無理して友達を笑わせていたけど家に帰ると、どっと疲れが出ていた」

 グループの中だけで無視され、机も少しだけ離される。担任の教師に気づかれないような、そんな女子の陰湿ないじめが半年以上も続いたが、たったひとりで我慢し、ときには誰もいない教室でワーッと声をあげて泣いた。

「嘘でも母親にはうまくやっていると話して、頑張って委員長をやってみたり。中学生になると、おどけて笑わせるキャラクターになって教室に居場所を作ろうとしました」

 つねに母親が求める娘であろうとしていたために、それが奈央さん自身の幸せであるように無意識に洗脳されていった。

「洋服の趣味も好きなものも同じで、“似たもの親子だよね”と母も喜んでいました」

 高校受験で志望校を決めたときも、「たまたま母と同じ夢を持っていた、と思い込んでいた」と彼女は言う。

「私の母は今、70歳ぐらいなんですが、小さいときに両親が離婚して母子家庭で育っているんです。当時は世間の偏見もあり、経済面でも難しくて。親が仕事に行っている間に妹の面倒を見て家事をして、志望する高校にも行けなかった。

 高校を出たらすぐに仕事をして、いろんなことをあきらめてきた人生だったんだろうなって。だから、“こういうことをやりたかった”と、よく私に言っていたんです」