「なぜ私だけがこんなに青くさい悩みを持っているんだろう、と思いました。同じ年代の誰もが、疑問を持たずに高校・大学に行き、友達や恋人をつくり、社会の流れに乗っているように見えました」

’94年、家族旅行の軽井沢で。すでに拒食は始まっていた

「吐けばなかったことに」

 強烈なドロップアウト感が、「おまえは生きる価値がない人間だ」と、親だけでなく世間からも蔑まれているように感じた。そして自殺未遂の末、彼女は、さらに越えてはならない「一線」を越える──。

「どれだけ過食しても吐けばなかったことになる。私は、夢のような手段を手に入れたと思いました」

 24歳のとき、初めて「一線を越えた日」のことを、奈央さんは鮮明に覚えていた。

「それまでは過食をするといってもクッキーやスナック、菓子パンなど、おやつ系のものばかりでした。ある夜、突然、それまで抑えていた “こってりしたものが食べたい!”という強い衝動に駆られてコンビニに走りました」

 ドリアやミートソース、カップラーメン、ドーナツなど夢中で食べた。しかし、そのあとに猛然と湧き上がってくる後悔と焦り。そして……。

「水をたくさん飲んで、最初は恐る恐るのどの奥に指を入れました。すると、まったく苦しむこともなく、さっき食べたはずの高カロリーの食べ物が一気に吐き出されたとき、私は快感さえ感じていました。

 吐くことを覚えた私は、さらに食欲を抑えられなくなり、過食の量と頻度は加速度的に増えていきました

 それまで、アルバイトに行けるほどには体力も気力もあった奈央さんだが、過食嘔吐するようになってからは、崩れ落ちるように、日常生活が送れなくなっていった。

「昼夜逆転で、起きてから買い物、過食、嘔吐、ネットを見て寝る、というのが私の1日のサイクルでした」

 過食する食料を大量に手に入れるためにスーパーの安売りを狙い、そこから異常なほどの買い物依存が始まる。