19歳の羽生と新井元支配人('14年6月撮影)

 平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子で金メダルを獲得した羽生結弦は、会見で被災地に心を寄せた。

羽生のリンクへの思い

「自分が(ソチ五輪の)金メダルを持って被災地の方々にあいさつしたときに、たくさんの笑顔が見られたので、今度はちょっと自信を持って、みなさんにまた笑顔になってもらえたらいいなと思っている」

 宮城県仙台市。そこには羽生のホームリンク『アイスリンク仙台』がある。2011年3月11日、羽生はそこで練習中に被災した。

 地震発生時、JR仙台駅近くで営業活動をしていたという当時の支配人、新井照生さん(54)は、慌ててリンクへ戻ろうとしたのだが……。

「車で30分程度で着くところが、2時間近くかかりました。私が戻ったとき、羽生君はいませんでした。地元のスケートクラブのOBの方に助けてもらったそうです」

 幸いなことにケガ人はいなかったが、ベンチや貸し靴棚が倒れ、壁には亀裂が入っていた。約1か月後、余震が亀裂を深め、ひび割れた壁がリンクに落下してしまった。

「リンクに氷を張っていないとき、氷を凍結するパイプがむき出しになっているんです。その上に壁が崩れ落ち、破損してしまいました。おまけに電力不足で、アイスリンクを復活させてほしいとはとても言えませんでした

 と新井元支配人。再開ができたのは、同年7月だった。

 羽生も、再開を喜んだ。

「“ありがとうございます”とあいさつしてくれてリンクを確かめるような感じで滑ってました」(新井元支配人)

 同リンクは昨年12月、リニューアルオープンした。羽生が、音響設備を改善するようアドバイスをした。これ以外にも著書『蒼い炎』『蒼い炎II』の印税を全額寄付したりと、同施設への思いの強さがわかる。

羽生を指導した都築章一郎コーチ

新たな羽生結弦誕生の瞬間

 そのリンクで、小学校から羽生を指導し、金メダリストの土台を作り上げたのが都築章一郎コーチ(80)だ。

 震災時、横浜のスケートリンクにいた都築コーチは、仙台で練習できなくなった羽生を受け入れた。

「彼は本当に仙台を愛していた。被災で強いショックを受け練習にも集中できない様子でした。つらかったと思う」

 と回想。驚く光景も見た。

「余震が起こると、結弦が非常に素早い動きでリンクから飛び出して、外に避難したんです。精神も肉体も正常な状態ではなかった。でも強い子ですから弱音などは一切、吐かなかった」

 立ち直りのきっかけは、全国各地のアイスショーを転々としたことだという。

「そこで海外の選手と触れ合い技術を高めたこと、各地でファンの応援に力をもらえた。過酷な経験を、結弦はプラスへ変えました。震災を乗り越え、精神的にも肉体的にも成長し、新たな羽生結弦が誕生したように思います」

 と都築コーチは読み解く。

 ソチ五輪の直後、都築コーチは羽生に「金メダリストのコーチにしてくれてありがとう」と伝えたという。

 新井元支配人は平昌冬季五輪の滑りに目頭を熱くさせ、

「ソチ、そして今回の平昌の金メダルが被災者に勇気を与えてくれた。彼に関われたことを誇りに思います」

 政府は国民栄誉賞授与の方針を固めた。仙台市は凱旋パレードの準備に着手した。

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